プロローグ


穏やかな風が吹き、温かな日差しが差し込む6月の始めの日。
梅雨が近い時期ではあったが、雨の様子はまだ見えなかった。
私立碧瀾学園。
幼等部から大学院までのエスカレーター式マンモス学校。
海沿いに位置するこの学園は敷地面積が東京ドーム何個分とかという広大さであった。
同じ敷地内に幼等部から大学院まであるものの、それぞれ校舎や校庭等は別で距離も離れている為、殆ど独立している。
そんな碧瀾学園高等部の校舎内に2時間目のチャイムが鳴り響く。
そのクラス、2年A組の教室も例に漏れず、チャイムに続きバタバタと慌しい音が教室を満たす。
生徒達は皆、それぞれ教科書を取り出したり、席に戻ったりなどの準備を遅れて行っていたのだ。
全員が席についてから然程せずにドアが開き、一人の教師が姿を現す。
濃いグレイのスーツにきっちりと身をつつみ、趣味のよい深い緑のネクタイをしめた黒髪の青年教師。
黒い瞳の知的さを銀色の細いフレームの眼鏡が更に際立てている。
その教師が教壇に立つと、生徒達が号令で一斉に立ち上がる。
一人の生徒の「礼」と言う声に倣い礼をし、「着席」で椅子に座りなおす。
同じように礼をし、顔を上げた彼――桐生紫杏は着席した生徒達を見回す。
其処に並ぶ顔ぶれがいつも通り一つ欠けている事を見止めると、生徒らには気付かれないように内心で溜め息をついた。
この2年A組担任にして、数学を担当する桐生は今大きな悩みを抱えていた。
それは一人の生徒について――いつも通り欠けていた姿の生徒、神崎隼人だった。
神崎は成績学年トップでそれだけ見れば優等生。
だが、実際には授業には単位ぎりぎりしか出席しないという、問題児なのだ。
神崎家が学園に出資もしているような大会社を経営している為、教師らは強く出ることも出来ない。
特に桐生は彼のサボりに困り果てていた。
神崎は桐生の授業にはほとんど出席していない。出たとしても自習の時やテストがある時なのだ。
他の授業はまだ単位を取れる程度には出ているのに、桐生の授業にだけは単位お構い無しでサボる。
2年の授業が始まってから大体2ヵ月のうち、神埼が出た授業は半分にもならない。
このままでは本格的にまずいのだ。
どうしようかと桐生は授業の最中も神埼のことが頭から離れなかった。


その日の放課後、神崎は小会議室に向かって廊下を歩いていた。
神崎は意外にも学ランは詰め襟まできっちりとしめ、傷みの少ない鞄を肩から提げている。
ただ、生まれつき色素の薄い髪は軽く伸ばされ一つに括られていた。
小会議室は高等部校舎の特別棟の3階、一番端に位置する。
最も使用頻度の少ない部屋として有名だ。
というのも、通常教室からも職員室からも遠い為、教師も生徒も利用したがらない。
小会議室を使うくらいなら、通常教室や職員室からすぐ程近くにある会議室を使用する。
会議室は全部で3部屋有り、それぞれが小規模の会議を開けるぐらいに広い。
一方、小会議室は6畳程度で机を並べると、せいぜい3〜4人程度しかは入れないだろう。
わざわざそんな不便としか言えない教室に神崎が向かっているのは桐生から呼び出しを受けたからであった。
6時間目が終わり、帰り支度をしていると放送のチャイムがなり、桐生の声で「放課後、小会議室来るように」とに呼び出しをされた。
クラスメイト達の視線を受けながら、神崎は教室をあとにしたのだ。
ようやく辿りついたドアの前に立つ。
普通の教室のドアとは違い、小会議室のドアは開き戸になっていた。
鞄を提げていない右手をあげ、コンコンと軽くノックをする。
ノックから数瞬の間を置き、「入りなさい」と言う返答が返る。
神崎はドアを押し開き、小会議室の中へと足を踏み入れる。
パタンと言う音を立てドアを閉め、ついでにそっとドアの錠もかけておく。
鍵をかけたことには気付いていないのだろう桐生に促されるままに机を挟み向かい側の椅子へと歩みを進める。
小会議室内には真ん中に大きめの机1つとそれを挟む形で置かれた椅子2つしかなかった。
あとある物と言えば、壁際のロッカーのような書棚が一つと備え付けのゴミ箱ぐらいだ。
あまり物がないのは狭いからと言う事だろう。
神崎が鞄を脇に下ろし椅子に座ると一呼吸を置き、桐生が口を開く。
「さて、何故呼び出されたかは判っているね?」
「まあ、一応…」
「神崎、君は2年に上がってから授業に単位ギリギリしか出席していないな。特に私の授業には殆ど出ていない。理由を聞かせてもらえるか?」
神崎は答えない。
この小会議室に来た時から変わらぬ無表情で何の反応も見せず、無言のままだった。
ただ、真っ直ぐな瞳で桐生を見つめる。
「答えたくないならいい…だが、このまま2年を過ごしては進級が危ない。折角学年トップの成績を誇る君なんだ。授業にさえ出れば進級にこれ以上災いする事なんてないんだよ?」
「つまり、授業に出ればいいんですね。」
「ああ、これからはきちんと授業に出なさい。」
それに対し、判ったと頷く神崎。
意外にもあっさりと授業への出席を認めてくれたことに桐生はほっとした。
桐生は安心したように微かな笑みを浮かべる。
これで一先ず、これからは授業をサボったりしないだろう。
後は一番の問題…
「それから、もう一つ…」
「なんですか。」
「数学の既に欠席が多すぎる。なので補習を行う。いいね?」
数学の欠席数は既に単位を与えるのが難しい程なのだ。
こればかりは補習を受けてもらわなければならない。
ずっと欠席していた桐生との補習に神崎が出てくれるだろうか。
それが一番の悩みどころだった。
「はい、判りました。」
だが、悩みとは裏腹にすんなりと神崎は承諾の意を示す。
些か拍子抜けしたようにきょとんとした表情を見せた後、嬉しそうに桐生が笑む。
「そうか。よかった。それなら大丈夫だろう。」
桐生は神崎の気が変わる前にと即席で作った補習の日程表を横に置いていたファイルから取り出し、神崎の前に置く。
「とりあえず、放課後にこの小会議室で行う。日程はその通り。明日からほぼ毎日と言う事になるがこれまでサボったつけだ、仕方がないと思ってくれ。日程変更の際は事前に伝えよう。」
左手に持つ赤ペンを指し棒代わりにプリントを示し、書かれている日程についてと持ち物、授業内容を簡単に説明していく。
勉強に関して、彼が優秀なのはこれまでの成績を見れば判る。
この補習も欠席を補う為のものであるので、それほど難しいことではないだろう。
「――というわけだが、あと質問はあるか?」
「……一つ、いいですか?」
「なんだ?」
とんとん拍子でことが運び、桐生は安心しきっているのだろう。
「補習って、先生とオレの二人だけですか?」
大した疑問もないように神崎の問いかけに笑みを浮かべ、答える。
「ああ、君の欠席を埋めるものだからな。一人が嫌なら、他に誰か誘っても――」
「誘うわけないだろ。」
桐生の言葉は途中で遮られた。
更に今まで敬語だった神崎の口調が行き成り変わった。
「…神崎?」
桐生は笑みを消し、眉を顰め、問いかけるように名を呼ぶ。
神崎はそれに答える代わりに椅子から勢い良く立ち上がり、桐生の胸倉をつかむ。
そのまま桐生を引き寄せると強引に唇を重ね合わせた。
「――…っ!?」
隙をつかれキスをされた桐生は驚きに目を見開き、あまりの衝撃に呆然とするしかない。
今起きたことがうまく頭の中で処理できずに居た。
ぺろりと自分の唇に残る桐生の唇の味を味わうように舐める神崎の舌は赤い。
「明日からの補習が楽しみだぜ。」
神崎はこの部屋に来て初めて表情らしい表情を桐生に向ける。
もっとも、それは邪悪さを帯びた笑みであったが…
置いていた鞄を取り上げ、神崎はドアへと向かう。
かけていた鍵を外しドアノブに手をかけるが、ふと何かを思い出したのか、桐生を振り返る。
にやりと意地の悪そうな笑みを湛え、
「逃げんなよ、先生。俺の進級掛かってるんだからな。」
呆然と襟元を乱し椅子に座る桐生に神崎はそれだけ言い残し、部屋を出て行った。



それが全ての始まりだった。
静謐とした桐生の人生が神崎によって乱されていく――



あとがきコーナー…かもしれないもの☆


何処となく、とあるCPに似ていますけど…

気にしないでくださいv(ぉい)

とりあえず、次は本番有の予定になりますので☆